青萍剣

中国武術専門雑誌「武芸」誌にて紹介された、青萍剣の記事の抜粋です。

剣は、古代より伝わる短兵器の一種で、武術の短器械である。
『釈名』(名称の由来の書)には次のようにある。

剣、即ち検なり。非常の事態を防ぎ検するなり。

ここに説かれるように、剣は積極的な攻撃の武器ではなく、護身の為の武器であった。
時の支配者達は剣の名手を尊重し、こぞって彼らを訪ね求め、教えを請うた。
今も残る史書には、この事が数多くの事例と共に収められている。

剣は中国の歴史上に於いて、多くの文人に非常に喜ばれ、教養の一つとして教えられた事もあった。
その為この器械は多くの愛好者を持った。剣は他の武器類に比べると、遙かに芸術性が高く、高い精神性を備えているといえる。
儒教の祖、孔子も剣を好み、その弟子である子路は剣の名手で知られている。
剣はまた書にも通じると云われ、書家もこれを好み、練功したという。
昔日においては宝剣は御守りであり、その家を守護するといわれた。
剣は中国人が最も親近感の覚える武術器械と云えるだろう。

剣が他の武器類と大きく違うことは、この武器がこれ自体で一門を構えることの出来る程のものであったということだ。
相互教授という形で刀槍棍術が広まることはあっても、一門を構えることの出来る武器はほとんどなく、その流派の数は非常に少ない。
一門を構えた剣門派は古来より数多い。
現在に至って伝承されているものを挙げれば、青萍剣、武当剣、昆吾剣、奇門十三剣、達磨剣、三才剣、純陽剣等がある。

青萍剣は、中国四大名剣の一つとして有名であり、古伝のまま伝えられている老架と、新しく創編された新架の二種類がある。
王慶斎師爺が学んだ青萍剣は古伝のまま現代に伝えられた老架である。
現在は一般的に楊家青萍剣として東北地方に伝えられているが、伝承者はさして多くない。
青萍剣の歴史は古く、1856年の記録に江西省龍虎山の潘真道人が伝えたとある。

(本文22,23ページより抜粋)